日本100名城のうち、江戸時代からの天守が残っている城は全国で12か所の城に限られます。
それが現存12天守と呼ばれている城です。
修復や改築によって残っている天守は、国宝か重要文化財に指定されています。
その現存12天守の内の一つ、愛媛県松山市の松山城。
豊臣秀吉の部下だった加藤嘉明が、関ヶ原の際は東軍(徳川家康)に従軍しその功績が認められて20万石を与えられました。
その嘉明が創設したのが、海抜132mの勝山山頂にある松山城なのです。
この松山城は、国宝で世界遺産でもある「姫路城」と並ぶ連立式天守であり、日本に存在する最期の完全な城郭建築と言われています。
日本の歴史学者で、戦国時代に関する研究で知られる静岡大学名誉教授の小和田哲男先生も、ある歴史本の特集記事でこの伊予松山城をオススメしていました。
そんな沢山の見どころがある松山城に、麓の参道から行ってみました。
21棟の重要文化財をもつ松山城は見所が満載
松山城DATA
住所 | 愛媛県松山市丸之内1 |
電話番号(松山城総合事務所) | 089-921-4873 |
アクセス(勝山上り口まで) | 松山空港から…リムジンバスで約30分、「大街道」下車徒歩5分 JR松山駅から…「道後温泉行き」市内電車で約10分、「大街道」下車徒歩5分 松山市駅から…「道後温泉行き」「環状線大街道方面行き」市内電車で約6分、「大街道」下車徒歩5分 |
公式ホームページ | https://www.matsuyamajo.jp/ |
訪問日 | 2019年8月中旬 |
松山城は勝山の山頂にあるのですが、徒歩で麓から行くと20~30分程度かかります。
さすがにそれでは大変ですので、麓からロープウェイが運行されています☟
ロープウェイとリフト(スキー場にあるような一人乗りタイプ)が運行されており、乗車券を買えばどちらにでも乗る事ができますよ☟
松山城の歴史
西暦 | 城主名 | 詳細 |
1602年 | 加藤嘉明 | 松山城の着工開始 |
1627年 | 蒲生忠知 | 天守五重の松山城が完成 |
1639年 | 松平定行 | 伊勢国桑名より松平定行が転封、当時五重だった天守を三重に改築 |
1784年 | 松平定国 | 天守が落雷で焼失 |
1854年 | 松平勝善 | 天守が再建される(現存) |
松山城は加藤嘉明が築城を開始しましたが、完成直前の1627年に会津へ転封される事になります。
その後城主が加藤氏から蒲生氏、松平氏と変わっています。
1784年に落雷により、当時の天守が焼失します。
それから70年後の1854年に、今現存している松山城の天守が再健されています。
江戸時代は1868年まで続きましたので、松山城の天守は江戸時代の末期に再建された事になります。
天守以外にも、小天守・隅櫓・門など見所が満載なのがこの松山城なのです。
松山城に行く途中のロープウェー街には飲食店やみやげ店が沢山ある
松山城最寄り駅の伊予鉄駅「大街道」を下車して、ロープウェイ乗車口までは、おしゃれなカフェやみやげ店が立ち並んでいます☟
私が歩いたのは朝の8:30ぐらいでしたので人通りはまばらでしたが、日中は多くの観光客の方で賑わっています。
マスコミやネットで評判の霧の森大福が売っている店も、この通りにあります☟
ネット購入だと抽選倍率が100倍にもなる「霧の森大福」ですが、私が以前四国中央市の本店で購入した時の様子を紹介しています☟
(行列売切れ必至)道の駅霧の森に、8月の日曜日に霧の森大福を買いに行ってみた
突然ですが、みなさんは「 霧の森大福 」って知ってますか? テレビやメディアで紹介されて以来、人気が続いておりなかなか手に入らない和菓子だそうです。 …
こちらは愛媛の瀬戸内グルメの定番「鯛」が味わえるお店です☟
愛媛の観光案内所と土産物を取り揃えています☟
その他にも鯛めしやじゃこ天や寿司など、愛媛の郷土料理が味わえるお店が沢山ありますよ。
松山城に行く途中や帰り道などで、ぜひ観光してみてはいかがでしょうか。
松山城への登城ルートは4つある
麓から山頂にある松山城へ行く為には、ロープウェイ(リフト)を利用するか、徒歩で登城する事になります。
徒歩ルートは全部で4つあり、いずれも所要時間は20~30分程度の道のりとなっています。
今回はロープウェイ乗り場を過ぎてすぐ近くの、東雲口登城道から歩きながら松山城を目指す事にしました。
この徒歩ルート途中にも、見所がいろいろあるのが松山城なのです。
現在の時刻は9時前、これから暑くなりそうですが頑張っていきましょう!
左に曲がると早速階段がありますので、登城開始です☟
この階段の先で東雲神社と松山城へのルートに分かれます。
直進すると東雲神社があります☟
左に曲がると松山城への登城ルートになります。
ひたすら上り道が続くので、マイペースで行きましょう!
道自体は広く舗装もされていますので、歩きやすいですよ☟
この石垣が見えてきたら、山頂はもうすぐです☟
石垣の上に見えるのは、隠門続櫓です。
松山城には櫓や門が数多くありますので、ぜひ注目してみてください。
更に先に進みますよ~☟
本丸に入って最初の門が、この戸無門です☝
文字通り昔から門扉が無かったみたいです。
この先にあるのが、松山城中で重要かつ堅固な所にある筒井門です☟
先ほどの戸無門よりも頑丈な作りで、門の上側にも通路が確保されていますね。
しかし、ここにあるのはこの筒井門だけではないのです!
筒井門の右側に、ひっそりと隠れるように存在するのが隠門です☟
敵が攻めてきた時に、通常なら筒井門を破ろうとするでしょう。
その敵を背後から急襲できるように、味方が出入りするのが隠門です。
このような門が現存している事自体貴重な事ですし、お城巡りをしている実感がすごく湧いてきます。
更に先に進むと、また頑丈そうな門があります☟
太鼓門と呼ばれており、高さ約5mの石垣と櫓とが一体化しています。
まさに防御に為に作られた門なのです。
これらの門をくぐり抜けると、ようやく本丸広場に到着です☟
この広場は桜の名所でもあるので、桜の開花時期には沢山の花見客で賑わいます。
いよいよ松山城天守(本壇)に入ってみる
いよいよ松山城天守内部に入ってみましょう。
ここから先は有料ゾーンになりますので、入場券を買って先に進みます。
入場券と一緒に松山城の城カード(1枚200円)も購入しました☟
城カードは現存12天守がある城で販売されています。
松山城では、この入場券売り場と麓のロープウェイ乗り場で松山城カードを売っていますよ☟
松山城本壇に入って最初にくぐる門が、この一ノ門です☝
そして一ノ門をくぐってすぐ左に曲がると、二ノ門があります☟
この一ノ門と二ノ門の空間は升型になっています☟
ちょうど上の写真の中央部分の空間です☝
この空間で先に進めない敵を、この石垣上の櫓内から四方攻撃できるという構造になっています。
う~ん、まさに鉄壁の防御態勢ですね!
これらの門をくぐり抜けると、ようやく天守への入り口があります☟
入口がやたら小さいですよね。
それもそのはずでこの入口は穴蔵と呼ばれており、天守の地下1階にあって当時は穀物などの倉庫として使用されていました。
天守が重要文化財に指定されていますので、階段や通路などは当時の面影を残していますね。
階段が非常に狭く急こう配です。
松山城に関する展示品もいろいろありました。
ちなみに天守内部から外を見るとこんな感じです☟
天守に攻めようとする敵の動きが丸分かりですよね。
そこに対して、石や鉄砲などによる攻撃を四方からできる仕組みなのです。
天守内部には、甲冑装着体験コーナーもありました☟
ガイドの方が常駐しているみたいですので、戦国時代の雰囲気を味わい方はぜひいかがでしょうか。
そろそろ最上階の天守に行ってみましょう☟
かなり開放的で広い天守でした。
外からの眺めはこちら☟
松山市街が一望です!
この最上階の天守は、標高が161mの位置にあるそうです。
既に気温は30℃を超えていましたが、風が吹いていて気持ち良かったですよ。
さて天守まで見学しましたので、城郭を見ながら帰る事にしましょう☟
松山城に行く時は東雲口から登城したのですが、帰りは県庁裏登城口を下りながら帰る事にしました。
なだらかな下り道が続きます☟
写真右の木の根元にある看板には、登り石垣と表示があります。
登り石垣とは、城がある山の麓から侵入しようとする敵を阻止する為、麓から天守がある所までの石垣の事をいいます。
日本版万里の長城のようなイメージでしょうか。
この登り石垣は、松山城以外では滋賀の彦根城でその存在が確認されているのみだそうで、こちらも重要な歴史資料となっています。
なぜこのような登り石垣を設置したのかと言えば、加藤嘉明が朝鮮出兵した際に現地で倭城築城の際に採用した手法なんだとか。
こういう実践的な経験がある加藤嘉明が着工した城だからこそ、さまざまな防御の為の施設がある訳ですね。
登り石垣を見ながら、更に下っていきます☟
ここが県庁裏登城口の入り口です。
まとめ
今回は松山城の麓から全て徒歩ルートで見学しました。
当日は猛暑日でとにかく暑かったのですが、登城ルートからは石垣や櫓、さまざまな門を見る事が出来ました。
これだけの城郭を見る事が出来るのは、日本全国でもかなり限られると思います。
連立天守と言えば姫路城ですが、この松山城も見所沢山でした。
なおこの松山城では、季節毎にさまざまなイベントが開催されています。
イルミネーションもその一つで、その時に行った様子をご紹介しておりますのでこちらもぜひご覧くださいね☟
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